裏「高校 with ジャイアン」
2003年7月22日私は自分の卒業した高校が、非常に苦手だった。
それなりにいろいろあった3年間だが、卒業して以来努めて思い出さないようにしているので、思い出は記憶の彼方である。
しかし、今日「お気に入り」に登録させて頂いているキリン−32さんの日記を読んで、久々に思い出したことがあるので、キリンさんの日記に便乗して、かきたいと思う。
なので、読む前にはまずコチラをご一読ください。
http://diary.note.ne.jp/25836/
(注・7月19日付)
(知っている人もいるかもしれないが、私とキリンさんは同じ高校で、隣のクラスでした)
**
そう、ジャイアン。
私の思い出の中のジャイアン。
私はジャイアンについて、女の子の視線から論じたい。
まずイメージの付け加えとして、ジャイアンは角刈りで、でかかった。
キリンさんは「早弁」をジャイアンに怒られていたようであるが、これは男子ならではだろう。
私たち女子は、「靴下」についてよく怒られていた。
私たちの学校では、ルーズソックスが禁止だったのである。
そしてそれを一番厳しく取り締まっていたのが、ジャイアンだった。
ちょっとでもたるんだ靴下を見つけたジャイアンはどうなるか。
怒る。
無意味な大声で怒鳴る。
そしてその場でその靴下を脱がせ、生徒指導室に常備してある規格内の靴下に、履きかえさせる。
怒られて、泣いている子も見たことがある。
履き替えさせられる規格の靴下は、たるみは全くなく、脱いだあと足にタテ筋がついちゃうほど、それはそれはぴっちりな靴下。
そんなんどこで売ってるんだ、な、靴下。
(たぶん、サティとかイズミヤの下着売り場)
ちなみに色は白しか認められておらず、男子はよく、色つきの靴下を見咎められて怒られていた。
靴下がなんなんだ、ジャイアン。
そんなことにエネルギー使うなよ、暇か、ジャイアン。
ちなみに同じように「スカート丈」「つめ」「髪の色」「腰ズボン」などにも厳しく、一日に一度、必ず校内ののどこかでジャイアンの怒鳴り声を聞いていた気がする。
まぁゆうてもきりがないんだけれども。
とにかく彼の毎日は「怒鳴る」で形成されていて、怒鳴っていない時は違反を見つけるために目を光らしているか、大声で挨拶をしているか、だったように思う。
私はそんなジャイアンがあたりまえに大苦手だったので、違反をしないよう、しても見つからないよう、首をちぢめて生きていた。
そして怒れるジャイアンを目にするたび、
「なんであんなに必死で怒るんやろ・・・血管切れんぞ」
と思っていた。
そんなある日。
彼は入院した。
ジャイアン、入院。
うわさでは、頭の血管が切れて入院・・・と聞いたが、それはいくらなんでもできすぎだろう。
でもかなりありうる。
つーか私はいまだにそう信じている。
彼のいない校内は、静かだった。
まぁもちろん病気はジャイアンの生命力にかてるはずもなく、彼は程なく退院して、戻ってきた。
でもどことなく、入院前より静かになっていた気もする。
血管が切れるのはやっぱ怖かったか、ジャイアン。
・・・まぁ。
いい人だったんだろう、とは思う。
私たちには見えない何かを、必死に守っている人だったんだろう。
それは学校の秩序であり、伝統であり・・・
私たちのため、でもあったのだろうと思う。
今でも、その大声は無意味だったとしか思えないとしても。
なんのお世話にもならなかったと思うけど。
今でも、話のネタの一つとして楽しませてもらってるよ。
ありがとう、ジャイアン。
コメント